明治15年、地元の熊野灘産の魚を使用した練り製品の製造販売を営む「新兵衛屋」が創業し、その名は「新兵衛屋ブランド」として広く定着した。元々、魚肉練り製品は全国的に地魚を原料とすることが一般的であったが、漁獲高は自然条件に大きく左右されることから、全国的に昭和40年頃から統一的な原料(輸入冷凍すり身)が普及し始め、新兵衛屋でも輸入冷凍すり身を使用するようになっていた。
一方、平成12年創業の当社(P浜地屋)は元々、梅干しを主力商品としていたが、新兵衛屋社長が当社・濱地社長の父に当たることから新兵衛屋ブランドを引き継いだ。
しかし、全国統一的な原料の使用を続けていては大手との価格競争の波に呑まれるしかないため、コストや手間は掛かるものの、創業当時に元々行っていた地魚での練り製品を復活させたいと考えていた。
他方、東紀州地域の漁業環境について、太平洋の黒潮に面する熊野市は、甫母須・二木島・遊木・新鹿・磯崎・木本等の漁港を有し、古くから漁業が盛んな歴史を持っていた。
しかし、自然環境に大きな影響を受け易い漁業は漁獲高が安定せず、更に、過疎地域である熊野市においては、第一次産業における後継者を含んだ就労者不足が続き、漁業経営環境は決して楽観視できない。加えて、この漁業者の不安定な収入は、市場への鮮魚流通で単価が合わない魚はまとめて養殖や釣りのエサ用にしか使われておらず、獲れた魚が収入につながらない、という現状も大きな要因になっている。
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